世界には二種類のうんちが存在する。

世界には二種類のうんちが存在する。

ひとつは、健康的で可食なうんち。

もうひとつは、不健康で非可食なうんち。

 

 

 

 

さて、早速だが読者の諸君らには上記の言葉の意味を考えてもらおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

努力をするというのは大変難しい。

努力の大半は得意なことに対するものでなく、不得意なことに対するものであろう。

そんな努力のかけらもできない人たちの大半は、物事に対し不平不満を吐いたり、自分主義になり気に入らない物事に対して強く当たることに努力してしまう。

 

 

 

環境というのはとても大事な一要素である。だが、あくまでも要素でしかないのだ。

環境というのは人を動かす力がある。それも非常に強力な、強制的な。

 

 

 

さて、そんな努力もできない人間が、排出物みたいな環境下で育つとどうだろう。

 

 

 

時間というのは有限だ。それだけだろうか。

時間というのは誰もが公平的に所持している超級の武器である。

努力しようが努力しまいがその人次第。

環境に対し文句を言おうが言わまいがその人次第。

 

 

 

日本語には「隣のうんちは青い」ということばがある。

自分の排出物は茶色いのに、御隣さんの排出物を拝見すると青に見えてしまう、というのが直訳で、意訳は「自分より相手の方が健康的な可食を食している→相手の方が優れている、よく見える」というもの。

 

 

 

嫌なことがたくさん、それも連続して起こると人間は疲れてしまう。

便秘でうんちが出そうで出ないでおしりに憤怒の力を加えても、中々うんちが出ないことがあるだろう。

それと同じで、人間は頑張り過ぎると疲れてしまうのだ。

適度に休む。それは毎日うんちが出せるように休むことと同じ。

 

 

 

うんちをするにも人並の努力が必要である。

動物の赤ちゃんはひとりでうんちをすることができない。

故に自分以外の誰かに手伝ってもらうことで初めて排出することができる。

 

 

 

読者諸君らはこのまま便秘のままうんち死をしたいだろうか。

それともどうにか努力をして便秘を解消して毎日快便生活を送りたいだろうか。

そう。

世界には二種類のうんちが存在する。

ひとつは、健康的で可食なうんち。

もうひとつは、不健康で非可食なうんち。